今日の美術教育の大きなテーマは、溢れてかえるほどに映像情報が氾濫している社会のなかで、子どもたちがそれらを如何に選択し、享受し、
自らの感性や感受性を育んでいくかという課題に指針を示すことではあるまいか。
写真が風景や事物を客観的に表現・伝達するという解釈は、まったく一面的な理解と言える。それは如何なる情報にも、作り手の主観が介在するという、本質的構造についての理解が不十分であったためだろう。
別の言い方をすれば、写真には、常に撮影者の「まなざし」が現れる。
だから子どもの写真には、子どもの視点が、そして、その子ならではの生活体験に基づいた発見や感覚が反映されると言える。
そのように考えるとき、絵画において、「児童画」という、アカデミックな絵画の体系とは別の文化が発見されたように、「子どもの写真」という独自の方法による表現分野を想定することは不可能ではないだろう。
それは、デジカメやカメラ付き携帯電話の普及によって、中学生以上の子どもたちが、すでに写真という表現手段を日常的に獲得していることにもよる。また、カメラを所有していない幼児や小学校低学年の児童においても、価格の低下や軽量化などによって、写真を撮るという行為は、すでに生活や遊びの一部に侵入している状況がある。
一方、写真が最も日常的な映像表現手段になったことは、子どもの造形活動や表現を一気に拡げる可能性がある。
ここでは、写真の記録性、複数性、そして、それに基づくコミュニケーション、すなわち「メディア」としての可能性が主要なテーマになると予測されるが、これらについての授業実践は、未だ実験段階にあると言えよう。
さらに、デジタルカメラの一般化によって、撮影という「表現」と、それを見ること、すなわち「鑑賞」のタイムラグが消滅し、ほとんど密着したものとなった。
事実、撮影した画像をその場でチェックし、満足できない場合にはすぐに撮り直すことは一般に行われている。ここでは、どこまでが「鑑賞」であり、どこからが「表現」なのかという意識は希薄であり、これまで図工・美術教育が機軸としている「表現」と「鑑賞」の関係は曖昧なものとなっている。
言い換えれば、デジカメによって、「表現」と「鑑賞」の相互乗り入れがおこなわれ、これによって「表現/鑑賞」という、教科構造があっけなく変容することすら考えられる。
そこでこの号では、このような写真めぐる今日的問題について、美術教育の立場から考えてみたいと思います。
写真家 森山 大道 さん
カメラというツールを持つことによって、普段は何とも思わなかったものに、特別の意味を見つけたり、私だけの何か発見できるようなことがあれば、それは深く子どもの心に残っていくだろうと思います。それによって、ものの見方や認識が変わってくるかもしれません。そういうことを写真を使った授業として想定できれば面白いだろうと思いますね。…続きは本誌で
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特集
写真とまなざし
美育インタビュー 写真家 森山 大道さん…7
映像メディア表現映像メディア教育の今後 森山 朋絵…18
未就学児の視覚メディアを用いた鑑賞教育の可能性について 難波 祐子
映像メディア教育の現状と課題 松村 泰三
対象と身体の間で 三澤 一実…24
写真を取り入れた造形活動で多様な見方を発見、楽しく表現 竹内とも子…30
自分の作品を自分で撮ろう 濱脇みどり…44
ようこそ、私のトリックアートの世界へ 佐藤真理子…48
つくる・写す・見る・感じる・伝える、そしてまた…大塚
啓…52
授業研究
●山口県
幼児 心ときめく楽しい造形活動をもとめて 山下
温子…56
小学校低学年 「マイちゃわん」をつくろう 林 健…58
小学校中学年 クラヤミさんが見たけしきは? 末冨奈津美…60
小学校高学年 造形的な創造活動を楽しむ造形遊び 伊藤
龍太…62
中学校 和柄のパッケージ 和佐本静代…64
熊本文庫主要文献解題 美術教育論の変遷とその周辺16…66
新関伸也+春日明夫+藤澤英昭+山口喜雄+
永守基樹+柴田和豊+天形 健+相原 緑+
坂本 晶+鹿田良英
●熊本高工先生を偲んで 春日 明夫…71
連 載
computer now
ぱらぱらアニメ「○○の気持ち」 有馬 佳子…72
BOOKS
新刊紹介 池内 慈朗…74
『木水郁男(奥右衛門)と児童画 心のかよいと子どもの絵』 朝倉俊輔 著
連 載
幼児のひろば 第21回 長野市 松代幼稚園
木原めぐみ…6・81
NEWS
美育ニュース…75